俺のテニス人生【一旦「完」】

俺のテニスが出来る環境って、ホンマに運が良かったんやと思うねん。


テニススクールに通い出してからは、テニスの幅が広がったよな。


まず、他にテニスが出来るところが無いか探した。


実はその当時住んでた実家の前にテニスコートがあって、そこでテニスを始めてん。


テニス部に入る前。


入ってから辞めるまでの3ヶ月は、家の前でテニスする暇なんて無かったけど、テニススクールに通い出してから、他にテニスが出来るところを探してまず行ったのがもちろん家の前のコートやった。


そこはたまたま23歳までは無料で使えるコートやって、スクールが無い時は毎日1人でサーブ練習してた。


曜日とか時間によっては社会人のサークルとか大学生のサークルとかがテニスしてはって、俺が1人でサーブ練習してるのを見てた施設の職員さんが、サークルを紹介してくれて、顔を出すようになった。


だから俺は、高校1年の夏か秋くらいから、テニススクールとテニスサークルでテニスに明け暮れた。


全国常連校のテニス部に入るのが目的で入学した高校やったのに、全然違うテニスライフを送る事になったけど、めちゃめちゃたくさんの人と出会って、色んな思い出が出来て、俺のテニス人生第2章は、マジで最高やった。


しかも、その高校に行った事は何も後悔してへんし、誇らしい学歴や。


15歳の春から数ヶ月間をここまで振り返ってきたけど、ホンマに俺が表現したかったんは、自分の好きな事が出来る環境って当たり前ちゃうって事。


この第2章でもまた大きい分岐点があるから、またそれも今度綴っていこかな。


一旦おしまい。

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コメント: 2
  • #1

    角見順子 (月曜日, 06 5月 2024 22:00)

    最後まで読ませて頂き、強豪校の部活を止めて、出会ったテニススクールやサークルの人達との出会いや一人練習
    大槻コーチのテニス人生は決して順風満帆ではなかったからこそ、本当に自身がテニスを大好きだということに気づけて今があるんだなぁって思いました。
    道は1つではないんですよね
    正面が塞がっても右からも左からも進める。そこに気づき何かを極め志がとても大切だということを教えていただいた気がします。ありがとうございます�

  • #2

    大槻真寛 (月曜日, 06 5月 2024 22:21)

    角見さん

    いつもありがとうございます。
    最後まで読んで頂いた事、心から感謝申し上げます。
    本当にありがとうございます。
    道はひとつではない。
    そのお言葉に尽きるかなと思います。
    辛い時や何かに迷った時には、違う道もまた良きかな。と思うようになりました。
    ありがとうございました。